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久しぶりに 久保田さんの畑に伺いました。
最近 分ったことだけど、自分の中で迷いや不安があると 畑に行っているように思う。
何か 食材としての野菜を見つけに行くというよりも、畑の色だったり、
景色、香りを感じるためのことが目的で。

久保田さんとも世間話がほとんどで、畑をブラブラしながら、
今ある野菜より これからの季節の野菜の事を話したり。
この前も、久保田さんの畑は チコリ系の野菜 が今は多く、アブラナ科の野菜は
ひと足早く花を咲かせ 春を感じ、チコリの灰汁と花の甘さに 幸せを得ることが出来ました。

それからも三寒四温が続き確実に春を感じます。
ペルケノー!?の裏の小さな畑でも 久保田さんの畑に行った次の日、
桜(オープンの時に頂いた)の花が満開を迎えてました。毎年のことながら やっぱり嬉しいですね。
その横のミント、レモンバームたちも これからの季節が分かっているようにすごいスピードで葉を出し、
生命を感じます。

さて、その横の金柑は 今年、すごく実をつけてくれましたが
1月に全て収穫して‘金柑と蜂蜜のジャム’を作り お客さんに配ってしまったので何か寂しげです。
それでも、なかなかの好評ぶりだったので きっと金柑も喜んでくれていることでしょう。

5月には サクランボの実ができます。
中央区のこんな街中で そんなことが出来るのが不思議です。

そういえば 今年は花粉が多い割には、花粉の症状はかなり低いです。
もしも 運動をした甲斐があったのなら うれしいと思いますが。
やっぱり運動は必要です。頑張りましょう。

それにしても、1月2月3月…本当に早いと思いません???
そんな感じのペルケノー!?の春でした!!!!!
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初めて買った料理の本が、今でもある。
もちろん、調理師学校で買ったものでなく、僕が 仕事を始めて買った本である。
その本は 上野真理子さんの本で、その時の僕は 料理の写真を見ても 訳が分からず
とりあえず文章を読み、料理写真はペラペラ見る という感じだった。

文章の中に‘ソースとは自然と流れるもの’とある。実際は もっと長い文章だったけど、
その時の僕としては ソースというものが 何か分からなかったから、夢を見たように思った訳で
そこから僕の原型が始まったように思う。そう、ソースとは自分なのである。
今の自分。出来ない自分、出来る自分。真似ではない自分。自分自身。
今でも それが僕の料理。焦っても出来ないもの。

話は変わり、アルデンテという 今では日本語のようになった言葉の事を思う。
イタリアで働いた時に思ったことなのだが、店ごと、もちろん 地方ごとに違い、少し戸惑ったことを思いだす。

僕自体の解釈として思うことは、アルデンテとは 良く噛んで食べること のように感じてしょうがない。
自分のお爺ちゃんお婆ちゃんが いつも言っていた言葉。‘良く噛みなさい’。
一口目が 美味しいだけではしょうがない。全てを食べ終えたときに 感動を与えるアルデンテ。
それは、粉の美味さとソースの美味さのバランスである。
アルデンテとは儚くて短いが‘芯’があること。
スパゲッティの麺の中にも同じような人生があるように。

人に感動を与えられる‘アルデンテ’は人に教えることは大変です。
しかし、幸せなことでもある。なぜなら、教える人がいるから。僕は恵まれているのかも?(笑)
…それが僕の料理観である。

婆ちゃんの‘ウナギの白焼き’美味かったなー!!!
ただ 焼くだけで 美味しい料理もあることを思い出す。
かば焼きも美味かったけど…これが 僕のソースの基本かも??

最近 よく目にする本で、たまたま見ると‘玉村豊男さん’という事が多い。
‘良いよなー、農園暮らし。’とか思いながら読むことが多い。
昔からある本で何となく見てたのが玉村さんので、最近 知ったぐらい。
まだまだ 頑張らないとね!!!!
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