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2009.12.29
Vol.37 気付けば今年も残りわずかになってしまいました…
Felice nuovo anno !!!
久しぶりのブログですみません。
色々と書こうと思いながら 時間が過ぎてしまい、年の瀬になってしまった。
最近の近況は、チンバリとカラスミです。
12月の初旬に‘la cimbali’のエスプレッソマシーンを購入しました。
10年目にしてやっとです。
カラスミは毎年12月に仕込みますが、クリスマスぐらいにいい感じに出来ました。
毎年、気候が変わるので 仕込む時期が変わりますが、今年は暖かいせいか、かなり時期がずれました。
糸島のジビエも田中さんの息子さんがその後を引き継いでくれて、鴨とイノシシが入るようになりました。
今年はそのジビエにも異変があり、少し時期がずれている様です。
そんな感じでクリスマスを迎え、毎年のことながら気楽に考えていると大変でした。(笑)
やっぱりクリスマスは忙しいものです。
でも、今年は常連さんもいらして下さり、大変さの中でもジビエを焼いたり、違うメニューを出したりと
自分なりの良い締めくくりが出来たように思います。 やはりスタッフに感謝です!!
少し不安な世の中ですが、人と人が常につながり、良いものを造っていけるよう、大切な物を見失わないような
一年を迎えたいものです。
新年も皆さんにとって良い年であるように心から願い、ペルケノー!?にとっても良い食材が入る年になるよう
心から願っております。
良い出会いを(食材の(笑))見つけ、喜ばしたいものです。
10年目のペルケノー!?もどうぞ宜しくお願い致します。
久しぶりのブログですみません。
色々と書こうと思いながら 時間が過ぎてしまい、年の瀬になってしまった。
最近の近況は、チンバリとカラスミです。
12月の初旬に‘la cimbali’のエスプレッソマシーンを購入しました。
10年目にしてやっとです。
カラスミは毎年12月に仕込みますが、クリスマスぐらいにいい感じに出来ました。
毎年、気候が変わるので 仕込む時期が変わりますが、今年は暖かいせいか、かなり時期がずれました。
糸島のジビエも田中さんの息子さんがその後を引き継いでくれて、鴨とイノシシが入るようになりました。
今年はそのジビエにも異変があり、少し時期がずれている様です。
そんな感じでクリスマスを迎え、毎年のことながら気楽に考えていると大変でした。(笑)
やっぱりクリスマスは忙しいものです。
でも、今年は常連さんもいらして下さり、大変さの中でもジビエを焼いたり、違うメニューを出したりと
自分なりの良い締めくくりが出来たように思います。 やはりスタッフに感謝です!!
少し不安な世の中ですが、人と人が常につながり、良いものを造っていけるよう、大切な物を見失わないような
一年を迎えたいものです。
新年も皆さんにとって良い年であるように心から願い、ペルケノー!?にとっても良い食材が入る年になるよう
心から願っております。
良い出会いを(食材の(笑))見つけ、喜ばしたいものです。
10年目のペルケノー!?もどうぞ宜しくお願い致します。
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2009.12.03
Vol.36 歳の離れた友
けやき通りの紅葉
今回の娘の絵のD.Mが好評で嬉しく思う。あれは‘けやき通り’の初夏の絵です。
街中でも紅葉や季節の移り変わりが分かる。
11月30日の休み、僕はけやき通りをふと、見上げました。涙があふれました。
少し小雨が降り肌寒い感じの日でした。
1週間前は少し暖かく、なんとなく気持ち悪い暖かさ。
気候の変化と人生の変化を思い‘人’とは何なのだろうか?と思う。
僕は何も出来ない人間だといつも思う。 出来ることしかできない人間。
人を出来るだけ喜ばしてあげたいだけ。
けやきの葉の散り方には、ある意味 嬉しさを感じてしまう。
下を見れば落ち葉しかないが、上を見れば綺麗な紅葉と枯葉吹雪が見れる。
人間は、悲しい時は下しか見ないかも? だから枯葉の寂しさしか見えないかもしれない。
僕も同じだった。
僕には20歳近く歳の離れた友がいました。 61歳の友。
ジビエ(野禽)の話をいつもしていた人。ジビエの時期には毎日のように電話で話し週に2回は会っていた。
彼は11月27日に亡くなりました。前日まで電話で話していたので本当にびっくりしました。
僕の1年前のブログに載せた人です。木の事故に遭い、“木にも命がある。”と教えてくれました。
彼の優しさと人間としての奥深さを考えたとき、けやきの木を見て涙が止まりませんでした。
それは自然の生命を感じ生きた彼の証かもしれない。
けやきの枯葉を見たときに、生き残るために枯葉をつくる、生命力を感じてしまった。
心良く散り、若葉をつくる、人の人生は何かにたどりつくためにあるものだと思う。
失敗が成功のためにあるように、死が生のためにある。
いつも見ている風景はとても大切だと思う。
上を見れば何かが見える。
見ようとするかしないか…それを彼から学んだのかもね?(涙)
今回の娘の絵のD.Mが好評で嬉しく思う。あれは‘けやき通り’の初夏の絵です。
街中でも紅葉や季節の移り変わりが分かる。
11月30日の休み、僕はけやき通りをふと、見上げました。涙があふれました。
少し小雨が降り肌寒い感じの日でした。
1週間前は少し暖かく、なんとなく気持ち悪い暖かさ。
気候の変化と人生の変化を思い‘人’とは何なのだろうか?と思う。
僕は何も出来ない人間だといつも思う。 出来ることしかできない人間。
人を出来るだけ喜ばしてあげたいだけ。
けやきの葉の散り方には、ある意味 嬉しさを感じてしまう。
下を見れば落ち葉しかないが、上を見れば綺麗な紅葉と枯葉吹雪が見れる。
人間は、悲しい時は下しか見ないかも? だから枯葉の寂しさしか見えないかもしれない。
僕も同じだった。
僕には20歳近く歳の離れた友がいました。 61歳の友。
ジビエ(野禽)の話をいつもしていた人。ジビエの時期には毎日のように電話で話し週に2回は会っていた。
彼は11月27日に亡くなりました。前日まで電話で話していたので本当にびっくりしました。
僕の1年前のブログに載せた人です。木の事故に遭い、“木にも命がある。”と教えてくれました。
彼の優しさと人間としての奥深さを考えたとき、けやきの木を見て涙が止まりませんでした。
それは自然の生命を感じ生きた彼の証かもしれない。
けやきの枯葉を見たときに、生き残るために枯葉をつくる、生命力を感じてしまった。
心良く散り、若葉をつくる、人の人生は何かにたどりつくためにあるものだと思う。
失敗が成功のためにあるように、死が生のためにある。
いつも見ている風景はとても大切だと思う。
上を見れば何かが見える。
見ようとするかしないか…それを彼から学んだのかもね?(涙)
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